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煩悩(ぼんのう)

人間の心身を悩ます精神作用のことで、誠の道を踏み行おうとする人間の心を毒(どく)し、覆(おお)うもののことを煩悩(ぼんのう)といいます。この外に、三蓋(さんがい)とか、三毒(さんどく)とか、三不善根(さんふぜんこん)ともいいます。内容は、貪(どん)、瞋(じん)、痴(ち)の三つに分けられております。

1 貪(どん)は欲の中にあります。欲のない者は一人もありません。欲がなければ、人間は生きていかれません。欲とは、欲しいということでありまして、すでに持っている物と事を出さないように守るのと、他の物と事を自己のものにしようとすることであります。これには意識するときと意識しないときとあります。人間の生活は人の顔や心が違うように、その人その人によって皆違います。生活が違うということは、その人の欲の深さ、広さ、大きさなども違ってきます。欲の中でも、この貪欲という私利私欲は一番いけないのであります。貪欲とは、むさぼる欲ということで、物事に執着することでありまして、すなわち物事を思い込んで離れない心であります。貪欲は、物事に常住性があるという考えからくるものでありますが、この宇宙すべての事と物には常住性がないのであります。すなわち有為転変(ういてんぺん)、諸行無常(しょぎょうむじょう)であります。この諸行は無常であるという真理が分かれば、私利私欲はあまり起きてまいりません。

2 瞋(じん)は、怒りでありまして、怒りは無知(むち)、高慢(こうまん)、えん恨(こん)、侮辱(ぶじょく)からくるものであります。ですから、怒りというものは、自分の知をみがき、ものの道理をわきまえ、誠の道を知っておるか、すべては自分が悪いという謙虚な心で懺悔(ざんげ)さえしておれば、決して怒ることはないのであります。天地自然には、ときに怒りとも見える天災地変が起こり、暴風雷雨がありましても、これらは絶えず天地自然の調和を保つためのものでありますし、また、人間を試練してくださいますが、人間の怒りは誠の道に背き、人の心を損ない、第一自分の心を乱し、安らかではありません。

3 痴(ち)は、おろか、ばかもの、たわ言、悔やみ言、愚痴(ぐち)などといいます。愚痴(ぐち)は、無知(むち)、不精(ぶしょう)、不平不満などからきます。愚痴を言うことによって、心の眼(まなこ)を失い、誠の道が立つことも、自分が安心することもありません。

要するにこの貪(どん)、瞋(じん)、痴(ち)を少しでも避けるように行(ぎょう)ずることで、本教では特に強く戒められております。

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