教祖の生い立ち
教祖
深田 千代子(教祖 慈照院圓應智覺大姉)
現在の兵庫県丹波市山南町井原に生まれる。その後、数え年33歳のときに、天啓を享け、幾多の奇蹟霊験を現し、「世の中の道具になる」というみ教えと、修法という霊導の道を遺した。
明治20年10月3日 |
誕生(氷上郡小川村井原) 子守り奉公などをして家計を助ける |
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明治32年5月6日 | 母かる死亡 |
明治40年 | 笹倉三治と結婚 |
明治41年3月25日 | 長治(初代教主)誕生 |
明治41年4月20日 | 笹倉三治、商売の都合で愛媛県へ赴き、毒殺される |
明治42年 | 河合静雄と再婚 |
大正8年7月16日 |
天啓を享ける。 この日を境に厳しい行に入る。 信者にこわれるまま、全国各地に足を運ばれる。 |
大正13年1月1日 | 行場日記を書き始める。 |
大正13年11月30日 | 最後の修法を行う。 |
大正14年1月6日 | 千代子昇天「病名:心臓弁膜症」(数え年39歳) |