入教者への道しるべ

入教しますと、何か決まりがありますか。

拘束的(こうそくてき)な条件は何もありません。自由であり「心次第」でありますからみ教えの研究と信仰生活により、幸せになっていただければよい訳であります。
各教会での会費(維持費)を納めること、年に一度の信者大会をはじめ毎月の教会行事に進んで参拝し、人格の完成と信仰心を深めていくことに自主的に努力されることが望ましいでしょう。
ただ教会では教会の慣習などがありますから、それは教会長にお聞きくださって、名実ともに円応教の信者として、自信を持って信仰ができますようにご研究ください。
み教えの研究には、本部で研究のための資料が用意してありますので、自由にお求めください。

入教しても、家の宗教は、変えなくてもよろしいですか。

そのような御心配は何もありません。むしろ、現在までお祭りなさっているものも、ともに大切にして頂き、その上、特に氏神様、御先祖様を大切にする信仰でございますから、信仰の意味も分かりやすいと思います。
大御親様(おおみおやさま)、教祖(慈照院圓應智覺大姉)をお祭りなされば外の信仰対象は自由であります。

葬式などに干渉を受けることがありますか。

一切干渉は致しません。御先祖様中心でございますから、各家の慣習通りでよい訳であります。しかし、信者様の希望によっては葬式を行うことはできます。

信仰対象として、円応教の定めたお祭りするものがありますか。

何も強制してはおりませんが、大御親様(おおみおやさま)と教祖(慈照院圓應智覺大姉)をお祭りなさればよい訳です。教祖のみ霊(たま)は本部講製の「まと霊符」があります。本部または各教会でお求めになってお祭りくださればよい訳であります。その外の信仰対象は、自由であります。

円応教は、悩みが生じたり病気をしてから御縁を頂くところでしょうか。

この問いの他にも、信仰は年を取ってからとおっしゃる人がありますが、これらは両者共、かなわぬときの神頼みと思っておられる訳であります。本当の信仰は、特に円応教では「転ばぬ先のつえ」の御縁を頂いて欲しいのであります。悩みや病気が起こらないうちに、年を取らないうちに、子どものときから、人生の出発点から、御縁が頂けたらと思います。

人生のすべてが心と行いのいかんによって、幸、不幸を分け、病気、災難、悩みは皆、過去の積み重ねの結果でありますから、毎日の生活の一瞬一瞬に真実の働きがなされておれば、このような問題も起きず、幸せな人生を送れることになる訳であります。その生活の真理を教えて頂けるみ教えでありますから、子どものときから御縁のある人は、本当に幸せなお方と思います。なお、たとえ「かなわぬときの神頼み」のお方でありましても、どんなことでも研究指導頂ける訳ですから、事情のいかんにとらわれず御縁を頂いてください。

何かのお尋ね事だけでお参りするところなのでしょうか。

教祖のみ教えに「一の我の研究 真の誠と思います。」(教典一六二項)、とお教えくださっていますように、このみ教えを行(ぎょう)じることによって生活が誠になりますので、一々お尋ねしなくても、生活の中にそのような支障が少なくなってまいります。もちろんお尋ねの必要のある方には、修法(しゅうほう)によって真実を教えて頂き個人と社会との幸福な生活ができるように教えられているのであります。

祈願のための信仰なのでしょうか。生活研究のための信仰なのでしょうか。

もちろん両方共であります。み教えのままに信仰生活をしておれば、祈願は感謝に変わり、無理な祈りや願いは段々に少なくなってまいります。つまり宗教即生活、生活即宗教という信じ方、行(ぎょう)じ方のみ教えです。
同じ祈願でも、人様の幸福を祈り、自らが人と社会のためにお役に立つ働きが出来るよう願う信仰に高められていくことが大切でしょう。