初代教主のあゆみ

初代教主 深田長治 写真

初代教主
深田 長治(法名 圓通院天山宗覺居士)

教祖の長男。円応教を設立し、信者訓戒や日課勤行文、教典、教義概要編さんに取り組み、また、全国を回ってみ教えを広めた。円応教の隆昌発展に生涯を尽くした。

明治41年3月25日 教祖の長男として生まれる。生まれてすぐに父・笹倉三治は毒殺される。
大正12年4月 家が貧しく進学を断念。小川村役場使丁に就職
大正12年12月25日 独学で兵庫県尋常小学校准教員試験に合格
昭和2年3月31日 兵庫県多紀郡八上尋常高等小学校訓導に
昭和22年4月1日 兵庫県尼崎市城内中学校教諭に
昭和23年6月10日 宗教法人円応教設立 官長に就任以来、教祖の遺文をもとに教典・教義書籍を発刊本殿建設等、本部聖地の整備充実を進める 
昭和24年3月31日 満24年間の教職を辞される。
昭和26年7月16日 感応のままに「日課勤行文」全文起草
昭和26年10月17日 新宗連 常任理事に就任
昭和27年2月6日 「円応教教典」「教義概要」を編纂、出版
昭和33年9月20日 新宗連近畿総支部会長に就任
昭和50年11月28日 新宗連副理事長・常任理事に就任
昭和51年4月3日 昇天(行年69歳)